スウェーデンでは1980年以降、30年近くにわたって脱・原発の方針をとってきました。1979年に起きた米国スリーマイル島の原発事故は、世界中に原発反対の世論を巻き起こします。そうした気運が高まる中、1980年にスウェーデン政府は原子力の是非を問う国民投票を実施。その結果、議会は新たな原子力発電所の建設禁止と、原子力に代わる新しいエネルギー源が利用できる場合は2010年までに既存の原発を全廃することを決定しました。その後1986年に起きたチェルノブイリ原発事故によって原子炉廃止への圧力は一層強まり、1999年にはバーシェベック原発1号機を、2005年には同2号機を停止します。
緩やかではあるものの着実に脱・原発の道のりを歩んでいるかのように見えたスウェーデンですが、2009年2月5日、連立政府は新しいエネルギー政策を発表します。その中で政府は地球温暖化対策の一環として脱・原発政策の転換を発表し、現在稼動している原発10基が寿命を迎えた際には、新規建設した原発に作業を引き継がせる意向を示しました。さらに2010年6月、原子力発電に関する法案が議会を通過。内容には発電所の建て替えを認めることや、国内に設置できる原子炉の制限数などが記されています。
スウェーデンの政策転換は、世界各国で取りあげられました。再生可能エネルギーのリーダーであるスウェーデンが、原発を容認する――これを政策全体の後退と捉える見方もありました。しかし、本当にそうなのでしょうか。スウェーデンがこの方針転換によって目指しているものを理解するには、これまでの環境政策を俯瞰的に捉える必要があります。
今、世界的に原子力エネルギーの再評価が進んでいる背景には、いくつかの理由があります。世界経済の拡大に伴うエネルギー需要増加への対応、価格変動が起きやすい石油に代わりエネルギー源の供給安定性を図ること、CO2の排出抑制に対応することなどです。特に気候変動問題に伴うCO2の抑制は、世界全体で高まりを見せている深刻な問題で、スウェーデンの方針転換の最大の根拠となっています。原子力は温暖化ガスを放出しない、クリーンエネルギーだからです。
 |
さまざまな環境政策によって、ス ウェーデンはEU最大の再生可能エネルギー利用国となっています
© Sven Halling/Johnér
|
スウェーデンが環境政策に力を入れ始めたのは、1970年代です。60年代の後半から環境保護庁や環境保護法が整備されたスウェーデンでは、法整備から企業や家庭での取り組みまで、官民が一体となってさまざまな環境保全活動を推し進めてきました。
特に注力してきたのは、石油依存からの脱却を目的としたエネルギー体系の転換です。1991年には省エネや再生可能エネルギーの利用を促進するエネルギー政策法を採択、同時に二酸化炭素税の導入によって天然ガスや自然エネルギーへのシフトを促します。また助成制度を整え、バイオ燃料によるコージェネプラントの設立を促進します。こうした取り組みやインセンティブが功を奏し、スウェーデンではクリーンテック産業が次第に発達し、バイオガスや風力発電による再生可能エネルギーの利用率が増加、反対に化石燃料の割合は徐々に下がっていきます。
 |
〈一次エネルギー供給量の推移/出展:スウェーデンエネルギー庁「Energy in Sweden 2009」より〉
|
とは言うものの、再生可能エネルギーが名実ともに石油の代替エネルギーとなるには、まだまだ時間がかかります。1970〜2009年にかけての一次エネルギーの供給量の推移(上図)を見ると、石油の軽減に反比例するかたちで原子力の供給量が上がっているのが分かります。石油依存からの脱却には、原発が重要な役割を果たしているのです。こういった現実を鑑みて、政府は原子力の利用はやむを得ないという結論に達します。つまり、「石油依存からの脱却」という目標を優先させるために、「脱・原発」という目標を一時的に棚上げしたと言えるでしょう。
スウェーデンのエネルギー政策をみると、原子力発電の継続容認はその1点だけに焦点をあてるべきものではなく、持続可能な社会づくりの一環だということが分かります。2009年3月、スウェーデン政府は「統合気候・エネルギー政策法案」を提案し、1990年を基準として2020年までに自国内の温室効果ガスを40%削減するという新しい目標を発表しました。EU全体の目標である30%を大きく上回るこの数値には、石油脱却を成し遂げ、気候変動の対応に全力を尽くすというスウェーデンの明確なメッセージがこめられているのです。


Go Up |
Top Page
|