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Ibrahimovic~荒んだ少年時代からスターの座へ

ズラタン・イブラヒモヴィッチは、サッカーへの愛情のおかげで、スウェーデンで最も悪評高い郊外地区で暴力と窃盗に明け暮れる生活から、きらびやかなスターの生活へと登り詰め、世界で最も尊敬されるサッカーのスーパースターのひとりとなりました。

スウェーデンで最も有名なサッカー選手の物語は、スウェーデン南部の郊外地区ローゼンゴードから始まります。激しい人種差別と社会問題で知られる地域です。ここでは住民の86%が外国出身で、中学校を卒業できる子どもはわずか60% 、成人の雇用率は38%しかありません。

そんなところでズラタン・イブラヒモヴィッチは育ちました。父親のシェフィク・イブラヒモヴィッチはボスニアから、母親のユルカはクロアチアからの移民でした.ふたりは70年代の終わりにスウェーデンで出逢い、1981年にズラタンが生まれました。


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自伝でズラタンは、子ども時代は辛かったと語っています。両親は彼が2歳のときに離婚し、幼い頃は母親と暮らしていましたが、生活は苦しかったそうです。家の中でも前の児童公園でも、暴力を振るわれました。

「今日はどうだったとたずねてくれる人も、抱きしめてくれる人もいなかった。宿題を助けてくれたり、大丈夫かと気にかけてくれる大人はいなかった。自分で身を守らなければならなかったし、誰かに酷い目に遭わされても、文句も言えなかった。混沌と争いばかりで、ときには共感してくれる人がほしかった」と自伝にはあります。

退屈から、のちに後悔するようなこともしてしまいました。本のなかでも、ただスリルのために自転車泥棒や万引きしていたことを明かしています。

9歳のとき、地域当局が、母親を育児不適格と判断しました。主な理由は財政的な困難と頻繁に爆発する暴力で、彼女はいつもズラタンや弟を木製のひしゃくで叩いていたのです。当局は父親が身柄を引き取るべきだと決定しました。

ズラタン・イブラヒモヴィッチは幼い頃からサッカーを始めました。小さい頃はアパートの前の児童公園で遊んでいましたが、すぐに、サッカーこそが「自分のもの」だということを発見しました。彼は徐々にサッカーにのめり込んでいきました。「いつもサッカーをしていた。裏庭で、サッカー場で、授業の合間は必ず」と書いているのは、ズラタンが小学3年生の頃のことです。

高校生になっても勉強への興味はどんどん減って、サッカーに集中するようになり、とうとう完全に高校を辞めてしまいます。地元のサッカーチームのジュニア選手としてはかなりのものでしたが、イブラヒモヴィッチは、この頃は疑問でいっぱいだったと書いています。彼は、外国人の両親を持つ郊外地区出身者という自分のルーツが、克服できない障害になるのではないかと心配していたのです。「不平等な世界だった。僕のような少年にはチャンスはない。どんなにサッカーがうまくても決してスターにはなれないだろう」


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しかし、そうではありませんでした。1999年、イブラヒモヴィッチはアルスヴェンスカン(スウェーデンのプロサッカー1部リーグ)のマルメFFから誘われたのです。契約書にサインして、イブラヒモヴィッチのプロサッカー選手としてのキャリアがスタートしました。このチームでは2001年3月までプレーして、8000万SEKの移籍金でオランダのアヤックスに移籍しました。

アヤックスでの始めの数カ月はほとんど控えとして過ごしていましたが、その年の11月にロナルド・クーマンが新監督に就任しました。クーマンはイブラヒモヴィッチを先発で使うことに決め、ここから彼の名は国際舞台で外せないものになっていきます。欧州チャンピオンズリーグの最初のシーズンでは4得点を挙げました。

アヤックスで2004年8月までプレーしたのち、イブラヒモヴィッチはイタリア・セリエAのユヴェントスへ、移籍金1600万ユーロで移籍しました。最初のシーズンに16得点を挙げたことで、彼の人気は急上昇します。2005年11月には、その年のスウェーデンで最高のサッカー選手に送られるギュルドボレン(ゴールデンボール)賞を受賞しています。

2006年には4年2480万ユーロ の契約でインテルに移籍しました。1シーズン目が終わって15得点と、チームを17年ぶりのリーグ優勝に導くには十分な成績でした。その後はスペインのFCバルセロナとセリエAのACミランに2年ずつ在籍し、2012年から現在まではフランスのパリ・サンジェルマンでプレーしています。最近、同クラブとの契約が2016年まで延長されたという発表がありました。クラブのナーセル・アル=ヘラフィ代表の発言によると、イブラヒモヴィッチはこの契約終了後に引退するつもりだということです。

クラブでの努力と平行して、イブラヒモヴィッチは、プロサッカー選手としてのキャリアを通じて、スウェーデンのナショナルチームでもプレーしています。

2003年には、ズラタンという名が、スウェーデン特許登録局で登録商標として認められました。理由は「ほぼ間違いなくズラタン・イブラヒモヴィッチとして認知されている」ためで、これによりズラタンは、スポーツ用品、ウェア、シューズなどの製品に自分の名前を独占的に使用する権利を与えられました。


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近年のイブラヒモヴィッチはメディアでも積極的な役割を果たすようになりました。2011年秋には作家でジャーナリストのダビド・ラーゲルクランツと共著で『ズラタン・イブラヒモヴィッチ自伝』が出版されました。この本は最初の1か月で41万5000部を売り上げ、翌年には、スウェーデンで最も権威のある文学賞である「アウグスト賞」にノミネートされています。

昨年、イブラヒモヴィッチはスウェーデンのメディアに最も頻繁に登場したスポーツスターでした。メディアの流れをある程度コントロールしたいのでしょう、最近は自身のブログ(タイトルは「ズラタン・アンプラグド」)を、特別なネットワーク・アプリであるMikzで独占配信しています。

——これまでメディアではあれこれ書かれてきた。これからは自分で書いていくことにする。目的は、自分について違ったイメージを届けることだ。これは、2013年10月にMikzとのコラボレーションを発表した際にジャーナリストに向けて語った言葉です。このアプリは現時点ではスウェーデン語版とフランス語版だけですが、2014年にはさらに10カ国語版が発表される予定となっています。

32歳になるこのスウェーデン最大のスーパースター選手からは、この先もしばらくは目を話せないでしょう——メディアでも、ピッチでも。


VIDEO: FIFA Puskas Award 2013/Youtube.com


VIDEO: Volvo Personbilar Sverige/Youtube.com